2009年05月17日

善光寺街道報告記1 中山道(牧野)~洗馬宿~郷原宿~

◆人はなぜ善光寺に向かったのか…祈りの道を辿り、善光寺信仰の謎に迫る

今年2009年4月5日から5月31日まで、長野市の善光寺では七年に一度の盛儀、
御開帳が開催されています。善光寺のご本尊、一光三尊阿弥陀如来は絶対秘仏とされ、
たとえ住職であってもその姿を目にすることはできません。
善光寺御開帳は、本尊を写したとされる「前立本尊(まえだちほんぞん)」を
拝むことができる七年に一度の盛儀です。
御開帳期間中は600万人以上の善男善女が昔と変わらず善光寺を目指します。
なぜこんなにも多くの人たちが善光寺を目指すのか?
とても不思議ではないですか。

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というわけで・・・5月11日~15日の五日間、
善光寺を目指し善光寺街道を歩いてきました。
その初日 5月11日 中山道(牧野)~洗馬宿~郷原宿~
の報告記です。


5月11日(月) 10:00~


さて一日目は中山道と善光寺街道がわかれる手前の牧野という集落の
旧公民館へと行きました。茅野からこの牧野までは美咲が車で送ってくれるという展開です。

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この牧野地区、実は昨年、美咲の応援団が出来ました。その応援団長の成田さんが
牧野区のみなさんと出発壮行会を開いてくださるということで本当、心にしみました。

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山菜、お餅、てんよせなど・・・地元のごちそうは深く心に響いてきます。
温かなものが伝わってきます。

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この旧い公民館、とても雰囲気がよいです。
昭和の良い時代を思い出します。いろんな人たちの交流の記憶がしみ込んでいるようです。
また右上の石仏は善光寺街道・・・全域で見ることが出来るものです。
このひとつひとつの石に込められた思いにより街道がつくられていることを感じました。
美咲が善光寺街道を歩く出発の前夜はここで寝袋で夜を明かすのもいいなあ、
と思いながら・・・ぜひ、この場所を守って行ってほしいと思いました。
(牧野のみなさん、本当にありがとうございました。)

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さて出発前の記念撮影をして善光寺を目指して歩き出しました。

善光寺街道報告記1  中山道(牧野)~洗馬宿~郷原宿~

この歩き旅、宿泊つまり宿を決めてありません。
昔の街道・宿場であっても現在はほとんど昔の機能はありません。
洗馬~松本 と稲荷山~善光寺の間には宿泊施設がありそうですが、
その他はほとんどちゃんとした宿は期待できないのが現状です。

バックパックつまりテントと寝袋を携行し、
どこでも野営できる装備を背負っての出発です。
野営だとやはり天候が気になります。
天気予報いでは三日目が雨が降るとのこと。
雨が降ったときの装備や対応も考えなくてはなりません。
昼間と夜間の気温差を考えた衣服も必要です。
さらには標高差による気温差も考慮しなくてはいけません。
このように夜営を前提とすると装備がかなり増えるので
加重による体力の消耗など・・・前夜までいろいろと悩みました。
結局のところかなりあれやこれやと絞り込んでも装備は20kgを超えました。
80kmの道のりと言えども、太古から難所と言われた峠が三つもあります。
20kgの装備を背負い、三つの峠を超えて善光寺に辿り着くのは
「それなりの修行になる覚悟をする」、意識が必要になってきます。

善光寺街道は祈りの道・・・
その道には石仏、社寺など沢山の遺産が残されています。
それらを出来る限り参拝し、手を合わせ、歩いていく・・・
このときに自分や周囲にどのような変化が起きてくるのか?
それを楽しみに歩いていきます。

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洗馬宿

中山道と善光寺街道の分岐点・・・洗馬宿。
木曽義仲伝説がその名に残る宿場です。
寺、神社、石仏、徳本上人の碑、明治天皇の足跡など・・・
善光寺に関わりの深い史跡が見られます。
基本的には史跡を見るにはセンスが必要です。
このセンスがないとそれらは価値のもたない石や建物、標識にしかすぎません。

昔の人の気持ちになりその時代の環境を思考しながら・・・
と当時の人たちがどのように動いていたのか? 背景にはどのような精神世界が広がっていたのか?
なにか私たちが活用できるメッセージが隠されていないか? 注意深く見ていきます。
この旅は基本的には巡礼の旅です。社寺、石仏、碑など主観を加えず
ひとつひとつ丁寧に手を合わせていきます。
その行為をとおして少しづつ、少しづつ、昔の人たちがなにを考え、
なんのために歩いたのか・・・近づいて行けるような気がしていました。

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わかされ・・・追分
街道の分岐点を追分とか"わかされ"とかいいます。
ここを右に行くと中山道・・・塩尻峠を超えて下諏訪宿、和田宿などを超えて江戸に近づいていきます。
左に行けば善光寺街道・・・現在の松本、長野方面に向かっていきます。

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実はこちらが本当の追分です。
上の現在の追分に徳本上人の石碑などが移設されています。

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この善光寺街道は東に向かえば善光寺へ。
西に向かえば中山道 伊勢の神宮へ。
当時の人たちには大変、重要な巡拝の道だったようです。

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当時の人たちにとって
善光寺や伊勢の神宮に参ることはどのようなものだったのか?
あらためてここで今回の歩き旅の目的を整理してみたいと思います。

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◆人はなぜ善光寺に向かったのか…祈りの道を辿り、善光寺信仰の謎に迫る

実は善光寺街道を復元する運動が数年前から起きていることを昨年秋、知ることが出来ました。
その中心となっているのが善光寺街道協議会です。
善光寺街道協議会から発行されている街道かわら版-善光寺街道通信紙- 
に以下のようなことが書かれています。

善光寺寿量院住職の小山健英さんの講演の内容です。

以下、抜粋
「自分自身に期待しすぎていないか
私たちの人生は悲劇です。メロドラマでも喜劇でもない。常に豊かな明日があるという生き方は間違いです。この世の中で生きていく私たちは「悲しい存在」なのです。にもかかわらず、私たちは自分自身に期待し過ぎていないか。自分に期待するということは他人にも社会にも期待しているということになります。「善光寺に来れば死んだ人に会えるんじゃないか」そういう思いで歩いたのが祈りの道なんです。その人たちを迎えて、送りだした、街道に住む人たちの素朴で美しい心。そういうところに私たちの祈りは発生してきた。ここにには古くからの生き死にの積み重ねがあり祈りがあった。」

 「私たちは自分に期待するあまり、豊かに、大きく、強く、美しくと望みます。はたして縄文人や善光寺へと歩いた人はそんなことを考えたか。私たちは日常は貧しくて小さくて、弱くて、醜いもの。それであたりまえです。それに対して豊かで、強く、大きく、美しくと望むのを"夢"と言います。人が描く夢を"儚い(はかない)"というのです。」

私はこの文面の本質を捉えてみたいと思うようになりました。

名声や名誉もなく・・・
この世界で生き、死んでいった人たちは一体、どのくらいの数いたのでしょう?
歴史に名前が残されていなくてもこの世界を生きた人たちの存在は価値のないものでしょうか?
今では誰にも知られることのないそのような人たちの存在を私たちはどう認識したらよいのでしょうか?
また私たちはそのような人たちの存在を認識し、感謝を表したことがあるでしょうか?

今回の旅の本質はこの問いにあったように思います。
今年2009年4月5日から5月31日まで、長野市の善光寺では七年に一度の盛儀、
御開帳が開催されています。善光寺のご本尊、一光三尊阿弥陀如来は絶対秘仏とされ、
たとえ住職であってもその姿を目にすることはできません。
善光寺御開帳は、本尊を写したとされる「前立本尊(まえだちほんぞん)」を
拝むことができる七年に一度の盛儀です。
御開帳期間中は600万人以上の善男善女が昔と変わらず善光寺を目指します。

なぜこんなにも多くの人たちが善光寺を目指すのか?
とても不思議ではないですか。

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郷原宿

洗馬から歩くこと一時間30分くいで郷原宿に着きます。
途中、心和む畑の風景も広がり気持ちよく歩ける区間でした。



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やはり石碑、社寺が目立ちます。

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とてもいい感じの古井戸がありました。
かつての宿場の賑わいが感じられます。

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郷原宿で印象に残ったのは
郷福寺というお寺です。真言宗高野山のお寺で
弁財天も祀られていました。このお寺の奥さまに善光寺街道の
スタンプをお願いしたら快く押してくださいました。

善光寺街道報告記1  中山道(牧野)~洗馬宿~郷原宿~

さてここまでの行程を「善光寺街道歩き旅案内貼」でおさらいしてみます。

善光寺街道報告記1  中山道(牧野)~洗馬宿~郷原宿~

づづく




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Posted by 葦木啓夏(Hiroka Ashiki) at 14:46│Comments(0)巡礼報告記

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